掃除を続けるために、
これまで色々なものを足してきました。
洗剤を変えてみたり、
道具を揃えてみたり、
やり方を調べてみたり。
そのたびに
「これで楽になるはずだ」と思いました。
でも、振り返ってみると、
掃除は少しも軽くなっていませんでした。
やる前に考えることが増えて、
始めるまでのハードルが高くなっただけ。
掃除が続いたのは、
何かを足したときではありません。
減らしたあとでした。
足しても、楽にはならなかった
掃除が面倒だと感じるたびに、
「何か足りないのだと思っていました」。
もっと強い洗剤があれば。
もっと便利な道具があれば。
もっと正しいやり方を知っていれば。
そうすれば、
今より少しは楽になるはずだと。
実際、足した直後は安心します。
「これで大丈夫」という気持ちになります。
けれど、その安心は長く続きませんでした。
次に掃除をしようとしたとき、
頭の中に浮かぶことが増えていたからです。
どの洗剤を使うか。
どの道具を出すか。
どの順番でやるのが正しいのか。
掃除を始める前に、
小さな判断がいくつも必要になっていました。
汚れそのものより、
考えることの多さが負担になっていた。
今なら、そう思います。
足したことで、
掃除は楽になるどころか、
少しずつ重くなっていました。
減らしたのは、掃除そのものではなかった
掃除を減らそうとしたわけではありません。
やらないことを増やしたかったわけでもありません。
減らしたのは、
掃除の前にしていたことでした。
どの洗剤を使うか考える時間。
どこから始めるか迷う時間。
どこまでやるか決める時間。
そういったものを、
できるだけ減らしました。
掃除の量は変えていません。
むしろ、やっていること自体は
前よりも単純です。
続いた理由は、選ばなくてよくなったこと
続くようになって気づいたのは、
掃除を続けるうえで一番の負担は
「汚れ」ではなかったということです。
毎回、選ばなければいけないこと。
判断しなければいけないこと。
それが積み重なると、
掃除は始める前から重たくなります。
選ばなくてよくなると、
考える前に手が動きます。
気づいたら終わっている。
終わった実感すら残らない。
それでも、
部屋はちゃんと整っていました。
減らすと、掃除は生活に溶ける
掃除が続くようになってから、
掃除を「やった」と感じることが
少なくなりました。
頑張った感じもありません。
達成感も、特にありません。
ただ、
生活の中に溶け込んでいるだけです。
掃除をイベントにしない。
特別なことにしない。
それだけで、
続けることはずっと簡単になります。
ちゃんとやらなくていい、という選択
減らすことは、
サボることではありません。
続く形を選ぶ、というだけです。
掃除は、
増やすほど難しくなります。
減らしたほうが、続きます。
減らす話は、
もう少し続きます。
